臨済宗妙心寺派の寺で、今から660年前の1355年(正平10年)に高僧として全国に聞こえた覚源禅師を開山として創建された禅寺である。美濃市内で現存する寺としては最古の寺である。
境内は三国伝来の仏舎利を祀る舎利堂、弘法堂、位牌堂、本堂(本尊、延命地蔵尊)庫裡等が建ち並んでいる。さらに開山堂には覚源禅師の頂相(木造)も安置されている。文明年間に火災がありお顔は消失を免れたものの、身体の部分はその後に再現されたものである。南北朝頃の作と伝えられ、鎌倉の肖像彫刻の技法をそのままに辛苦に耐えて修行された後の柔和な面影ある高僧を今に伝える秀作である。
またこの地は伝統の美野和紙の主産地であり、板取川を一望する静寂な山壊にいだかれた当寺に立てば、昔の名僧の面影がしのばれ和紙の歴史と共に悠久の時のながれを感じさせてくれます。
覚源禅師は下総国(千葉県)の名族東氏の出で、鎌倉建長寺開山蘭渓道隆の弟子鎌倉寿福寺、覚照禅師について出家され弟子(嗣法)となられた。35歳で福寿寺の住職となり説法教化には200人以上の衆僧が聴聞に参集した。
覚源禅師は50歳で隠退し、諸国行脚に旅たたれた。特に三河、尾張、美濃を巡って衆生の教化に努め、尾張瀬戸の定光寺を開山。この地方の禅宗興隆に力を尽くしました。
開いた寺院は諸国で16ヶ寺を数え小さい庵寺はその数をしらないといわれています。その後、隠居のため静寂な深山美濃牧谷へ移り住み、この地においても多くの土地の人々の要請をうけ長蔵寺を開創(延文元年)。一時、西濃池田に居住(禅蔵寺)したものの、最後には長蔵寺にて遷化された。
開山 1355年(正平10年)
覚源禅師(平心処斎)
本尊 地蔵菩薩
住所 美濃市上野961
電話 (0575)37-2653
文化財 国指定/舎利塔及び須弥壇
県指定/白山三社本地仏図
市指定/開山 覚源禅師頂相、
不動明王図、覚源禅師の墓
・東海北陸自動車道 美濃IC 20分。
覚照禅師は諸国行脚に出る折、建長寺に安置されている三国伝来の仏舎利(お釈迦様の御骨)宝玉石を背負い仏として行脚に旅立たれた。禅師死後、村人諸衆が多宝塔を作製し、仏舎利を奉安、後世に伝えました。舎利塔は室町時代の作と推定されます。調査の折、こんな所によくも立派な物が残ったものだと感心されました。
基壇(須弥壇)の上に多宝塔があり高さは3m黒朱漆塗で彫刻、組み物など宝塔の複雑な建築様式を精巧に施工、600年の時を経た今も荘厳で美しい姿をとどめており、国の重要文化財に指定されている。
※8月15日早朝5字 仏舎利塔 開扇供養