約800年前、比叡山の僧覚阿が巡錫の途でこの付近の景色が中国の廬山に似ているとのことで、廬山大悲院という名の寺を建立したのがはじまりとされている。
江戸時代のはじめ密巌禅師が観音堂を修復した折に鹿苑寺を建立し、江戸末期には荒廃した大悲院を鹿苑寺境内に移築し今日に至っている。
観音堂には平安時代末期の作と推定される聖観世音菩薩立像の他に県・市の重要文化財に指定されている仏像、仏具が多数あり、梵鐘も文化財に指定されている。
また、現存する唯一の旧郡上街道地蔵峠には室町時代初期に建てられた六角堂があり、国の重要文化財に指定されている。
観音堂と六角堂は9年毎に交互にご開帳が行われ地域上げての大祭となっている。
・観音大祭
毎年2月第二土曜日に開催。
聖徳太子作と言われる観音様のご開帳により、一年の厄除けを祈願します。
家運隆盛、安産、子育て、試験合格にご利益。
開山 1685年(貞享2年)
清泰寺六世 密巌禅師
本尊 聖観世音菩薩
霊場 美濃西国三十三観音 第2番
住所 美濃市立花955
電話 (0575)33-2071
文化財 国指定/六角堂
県指定/地蔵菩薩立像、
聖観世音菩薩立像、天部像(円空作)
市指定/韋駄天像、四天王像、梵鐘
・長良川鉄道「湯ノ洞温泉口」下車
・東海北陸自動車道 美濃IC 20分
旧郡上街道の地蔵坂峠にあり、ここを通る旅人の安全を守ってきた地蔵です。お堂の板額(元文三年・1738年)によると、応長(おうちょう)元年(1311年)に飛州(飛騨の国)の大工匠頭藤原朝臣宗安が再建したと記されています。建築様式からも、鎌倉時代末期から室町時代初期に建立されたと推定されます。
約800年前に建立された廬山大悲院は江戸時代末期には荒廃がいちじるしく廃寺となり、また、山上にあったため、参詣にも管理にも不便として大正5年に鹿苑寺境内へ移築されました。これが現在の鹿苑寺観音堂です。
堂内には聖観音像をはじめ、四天王像、韋駄天像、三具足、殿鐘等があり、いずれにも貞享、元禄の銘があって観音堂再建当時のものと推定され、市の重要文化財になっている。
地元民による伝統の観音信仰は今もかわらず、17年ごとに開扉供養される御開帳時には桜引き行事などが盛大に行われます。
美濃西国二番札所であり、子どものかん虫封じの仏様として遠近からの参拝者が絶えない。