善應寺は美濃市街地を一望できる山麓に位置し、参道の石段を山門から鐘楼門へと上がると、本堂を中心に庫裡と円通堂(坐禅堂)が対峙して建ち、その景観は三百五十余年の歴史を感じさせるものがある。
開創は寛文8年(1668年)であるが、それ以前の元和2年(1616年)関ヶ原の合戦で西軍につき、大阪夏の陣で滅亡した佐藤家の菩薩を弔うため開創されたのが始まりとされている。
創建当時から禅寺として栄え、修行僧も多く数々の傑僧を輩出した。善應寺十一世玄透禅師、十七世禅智和尚はその代表的名僧である。
伽藍は文政12年(1829年)に祝融に遭い、天保6年に山門・鐘楼門を残して建て替えられている。ちなみに山門は寛保4年(1744年)の建築で最も古い建物であったが、傷みが激しく平成10年に新たに再建した。また、平成21年には二十七世晃成和尚の晋山結制記念事業として本堂の耐震補強工事を行い、境内整備と中庭改修工事もおこなった。
・1月1〜3日
・2月15日
・3月21日
・4月8日
・8月15日
・9月23日
・10月18日
・12月8日
修正会
釈尊涅槃会
春彼岸会
釈尊降誕会
孟蘭盆会
秋彼岸会
善應寺開山忌
釈尊成道会
開山 1668(寛文8年)長霊正鎮和尚
本尊 釈迦牟尼仏
霊場 中濃八十八ヶ所 第36番
住所 美濃市吉川町1765
電話 (0575)33-2202
文化財 市指定/誕生仏(円空作)、
阿弥陀来迎図、玄透禅師墓
・長良川鉄道「美濃市駅」下車 徒歩10分。
・東海北陸自動車道 美濃ICから5分。
善應寺十一世の住職、玄透禅師は大変な傑僧で、最後には永平寺五十世住職まで出世し、永平寺の伽藍の再建と古規復興、「正法眼蔵」出版等の業績を残され、永平寺中興の祖として今も高く評価されている。
また、書家としても名高く、そのひとつ一つに深い禅の極致と玄透和尚の温かく豊かな人柄がしのばれ、どれも感動を与える作品となっている。
十七世慧門禅智和尚は玄透禅師の弟子で達筆の和尚として高名である。特に、寺子屋を開いて庶民に学問の手ほどきをされ、美濃出身の大学者、村瀬藤城を生むに至った。
その後、藤城は詩学を頼山陽に学んだが、山陽が郡上八幡へ遊行される際、藤城の案内で善應寺へ寄られ、禅智和尚と詩酒を交わして歓談されたことが 「山陽詩鈔」に載っている。
美濃の豊かな文化は善應寺の玄透、禅智と続いた名僧の力にその源流を見ることができる。